所在地/岡山市北区中山下1-5-25
TEL.086-223-1509
http://ymca-okayama.org
公益財団法人という枠組みにある団体なので、社会の平和のために働いているという意味です。
イギリスの産業革命のころからできている団体ですので、今は世界に120数カ国に拠点があり、
日本でも30カ所ぐらい、各都道府県にあって、それぞれ地域の中で、
地域の問題をとらえながら様々な活動を展開していて、
その中の一つに学童保育というのがあったり、
英語教育というのがあったりとか、最近始めたのは児童養護施設ですね、
ファミリーホームというのをつくったりとかいうことがあって、
地域の平和を支えていくような働きだと思っています。
「よく・学び・ちゃんと・遊ぼう」というのがYMCAていうんです。嘘ですよ(笑)。
「ヤング・メンズ・クリスチャン・アソシエーション」です。
妻です。
驚くべき20年ですね。びっくりですね。
まっ、特には誰というわけではないんですけど、
時間がたまたま合った人と職員と一緒に食べるというのが主ですかね。
外国人がいたりとか。
そうですね。
ないですね。妻も働いているのでたまに妻と一緒に、
作ってくれたお弁当を食べていることもありますけどね。
なんか変な感じですけどね(笑)。
えっ、いや、まぁ、チェックとかはしていないので、
なんだろうなぁで開けてみて、あーっみたいな感じですかね。
いや毎日じゃあないですね。ここに来る時もあれば、
幼児教育をやっているのでその幼児教室に行ったりとか、
学童保育の現場に行ったりとか、今日は今はいますけど、
これから倉敷に行ったりとか、まあいろいろ。いろんなところでやっていますからね。
というわけでもないんですよね。いっぱい人がきますので、
忙しい時には、ササッとしないといけませんし、まっ、いろいろだと思います。
フレックスに。事務所を空けないというのが大切ですからね。
だから見せびらかせませんよね、こんなお弁当だぜとか。
あほですね、そんなの。そんなのはないですね(笑)。
梅干しが好きです。そう言ったら怒られそうですね(笑)。
いや、他のものも好きですよ。筍も好きですよ。
さっきも言ってたファミリーホームという最近建てた建物の裏が竹藪なので。
竹やぶから、全部伐採しましたから、今年いっぱい筍が生えて、それを取ってきて筍をいっぱい。
筍ご飯とかおいしかったですよ。それは春っぽくてとてもおいしかったですね。
正式には5月スタートです。始まったばっかりです。
そこもだから家族が、家族じゃなかった人が、その家族になっていく、
ということのがテーマなので、やっぱり食卓を囲むというのはすごく大切なんですよね。
そういう意味では一緒にご飯を食べるっていうことがとても大切で。
仲間のことを英語でカンパニーって言うでしょ。
あの意味ってね、「カム」って「with」っていう意味なんですよ。
「パニー」って「パン」のことなんですって。だから一緒にパンを食べるっていう人が仲間。
だからおかしいですよね、パンってブレッドなはずなのに。
もともと、イギリスがフランスに占領されていたころの中世の英語らしくって、
だからカンパニーっていうのはそういう意味で、何かを一緒に食べるって、
そう考えたらとても近しい関係とじゃないと食べないじゃないですか。
そういう意味では家族になっていくというのと、ご飯というのはすごいとっても大切なことで。
毎食、妻の食事をいただいているっていうのは、
そういう意味では、まあいいんじゃないですかね(笑)。
苦手なものですね、いや、本当にあんまりないですね。
昔はしいたけがちょっとあんまり好きではなかったなと思うのですが。
なんでも食べますよ。ゲテモノは嫌ですよ。
開けたらヘビが入っているとか(笑)。食べませんけど。
食って不思議だと思いますね、なんか。エビは食べますけど、昆虫は食べないでしょ。
でも、よく似てますよね、形としては。エビは食べるよねってわかるから、食べてるだけで。
まあ、あんまり変わんないんですけど。
だから、普通で食べているものであれば何でも食べます。
出身は和歌山です。
20年ですね、今年で20年です。
ですね。
岡山はおいしいんじゃないですか。祭りずしですとか、おいしいよね。
そんなに滅多に食べませんけど。ままかり、ままかりは食べたかな?
鰆はおいしいんじゃないですかね。
僕は沖縄の泡盛が好きなんです。
毎晩妻と必ず飲んでますね。夜帰って。絶対飲んでますね。
仲良しなんですかね。いや、仲良しなのかなあ? わかりませんけど。
子どもはいつもケンカばかりしていると思っていると思いますけど。
まっでも、ケンカできるぐらいがいいですよね、と思ってます。
そうですね、毎日たぶん、妻が作っていると思いますよ、子どもは作らないので(笑)。
ごめんなさい、僕が作ることはほとんどないですね。いや、全くないですね。作ってくれていて。
それはもう大変やと思いますよ、前の日から仕込みをしてとか、
今もだから結構フルで働いていますから。晩には翌日の朝ご飯と、
次の昼の仕込みと夜のこともやってたりしますから。
すごいなあって思いながら、横で僕はグータラしてますけど。
そうですね。女・女・女ですから。
残念な(笑)。
まあ、健康のことだと思いますね。一時すごく脂肪肝であるというふうに言われて、
その時にコントロールするのにはやっぱり食が、ということで。
お医者さんに薬もと言われたんですけど、
薬じゃなくて食事でコントロールできますよって。
じゃそのことを私がしますよって言ってくれて。
そうですね、いまは毎晩飲んでいるくらいですから、全然コントロールはしていなくて(笑)。
ま、もう習慣として、残っているということですよね。
楽でいいですよ。本当、僕にとっては。毎日今日は何にしようとか考える必要もないし。
混んでいるところでしんどい思いをして食べなくてもいいですから。
ときどきは外食もありますけど、まあ、外食が別に「やったぁ」みたいな感じよりは、
(お弁当が)ないと面倒くさい感じがします。
そりゃあそうでしょうね。はい。
ブロッコリー
鶏の香味焼き
トマト
きんぴらごぼう
卵焼き
オレンジ
わかめ梅ごはん
いまこうやって作ってもらってることが一番思い出ですよね。そう思いますよ。僕の母が作ってくれていたお弁当の思い出もあるし、味ってそういう意味じゃとても残ることですよね。
何というか、いつの間にか自分の母の味から妻の味に代わってくる時って
やっぱりあるんだろうと思いますけど。いつからどうなったとかでは全然ないんですけど、
食の基本になっていることじゃないのかな、お弁当って。すっかりそういう意味じゃあ、
まだまだ私の母も存命ですけど、年に2回位しか会わないので、
その母は母が作ってくれたあのコロッケはお母ちゃんの味だっていうのがあるけど、
それが今度は僕たち家族の味になってきているのかなあとは思いますね。
そういう風に受け継がれていくっていうのが良いんですかね。
失敗じゃないんですけど、思春期の頃ってパッと開けた時にうわっ、
今日はちょっとこのお弁当友達に見られたら嫌だとか
ありませんでした? ありましたよね。
あの時ってこんなにして(お弁当箱のフタで)隠して食べていて、
あれは何か思い出すと母に悪いことしたなっという気が未だにありますね、何か。
何であんなに隠してたんだろうなって。
まわりもそうだったし。まぁ早弁してたってのもあるかもしれないけど(笑)。
高校生の頃とかそうかな。
変なのでいえば、お茶漬けしてましたね。銀色の四角いアルマイトみたいなやつに、
ご飯最後に入れて、お茶入れてお茶漬けするっていうのが流行ったんですよ、学校で。
中学の時かな。
夜はごはん粒食べない方で、飲むので(笑)、昼のごはんっていうのは一番ごはん食べてる時かな。
朝は昔パンだったんですけど。
彼女の家庭の文化はパンだったんですけど、うちはごはんだったんで、
最初パンだったですけど、段々嫌になってきてごはんにしてって
僕だけごはんにしてもらったんですよね。
子どもはパンですよね。手間ですね、妻にしたらね。ま、わがまま言っております。
そうですね、結構自分の母のことだったり、などを思い出すなあと。
というとお弁当はそういう意味では、日本の良い文化なんじゃないですかね。
ま、日本だからできるんでしょうね。傷みもしないでしょうし。
なんか中国の人が日本に来て、お弁当文化ですごい困ることがあるって言いますよ。
作らないからわからない。
みんないろいろバラバラですね。まっでも英語は使ってしゃべりますよ。
全然しゃべれなかった。
いや、もうつい最近ですね、5年ぐらいですね。
今はもうベラベラですよ。お教えしますよ。簡単にできますよ。
すごく活きています。ものすごく活きてます。
そうですね。前は講師とごはんを食べていても自分がしゃべれないから、
なんかこう、息詰まる雰囲気あるじゃないですか。
だって、外国人と一緒に飯食って、何話そうみたいにな感じでしょ。
今だったらもう自然にしゃべれるようになりましたね。
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